2016年12月29日木曜日

280715 #izak #葛岡裕 陳述書 #ベタ打ち版 #要録偽造


280715 #izak #葛岡裕 陳述書 #ベタ打ち版 #要録偽造

平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官

 

乙第25号証

 

陳述書

 

平成28715

 

東京地方裁判所民事第25部乙2A係 御中

 

東京都立王子特別支援学校

 

学校長 葛岡 裕

 

1 経歴等について

 私は、平成124月都立城北養護学校、平成134月都立城北養護学校(教頭、のちに副校長)、平成174月都立光明養護学校(副校長)、平成209月都立府中朝日特別支援学校(校長)、平成244月都立葛飾特別支援学校(校長)を経て、平成274月より、都立王子特別支援学校長として勤務しております。

 

2 都立葛飾特別支援学校について

・ 私は、平成2441日に、都立葛飾特別支援学校(以下「本件学校」という。)に校長として着任しました。

・ 本件学校は、高等部単独の知的障害特別支援学校です。入学してくるのは、通学区域内にある知的障害特別支援学校中学部の卒業生、中学校の特別支援学級の卒業生のほか、中学校の通常学級の卒業生もいます。知的障害特別支援学校中学部の卒業生は、比較的障害の重い生徒が多いといえようかと思います(N君も墨田特別支援学校中学部の卒業生です。)。

 

3 一人通学の指導について

・ 障害程度の軽い生徒は、入学後1カ月もすると一人通学ができるようになりますが、障害程度の重い生徒についても、保護者の付き添いや、スクールバスによらずに、一人で通学できるようになるのが本件学校の目標です。

 

4 N君のことについて

・ N君のことでいろいろと関わりを持つようになったのは、6月上旬の授業参観週間(6/46/8)の頃からだったと記憶しております。その当時、授業参観のためたくさんの保護者や近隣の方が来校されておりました。ある日(6/6ころか)、私が校長室に向かうと扉の前で、N君の保護者の方(母親)がお待ちでした。相談があるというので話を伺うと、N君の学級(1A組)担任が一人通学指導をやってくれない、息子(N君)は出身校(都立墨田特別支援学校中学部)で1年次から一人通学に取り組み、学校から私鉄の駅までとさらに電車に乗車して乗換駅まで来ることができていたのに、本件学校では、担任は時期尚早として取り合ってくれない、というものでした。そのほかにも、学級担任(男性)が息子の指導をしていることに信頼がおけない、というものでした。そして、母親は、担任の指導・協力がなくても、自分で一人通学の指導を行う旨述べました。

・ N君の母親は、礼儀正しく、自閉症の息子の指導に大変熱心で、またよく勉強されており、とても感心しました。

 

5 担任に対する指導について

・ 私は、N君の母親の話によればN君は中学時代に既にある程度一人通学ができていたと言う事なので、本校においても指導可能であると考え、N君の担任を呼んで事情を聞くことにしました。

・ 千葉教諭は、N君は未だ危険回避ができず、校外での通学指導は早すぎると考えておりましたが(それは、多分に、原告の意見に引きずられての判断のようでした。)、N君が中学時代に既にある程度一人通学ができていたこと、本件学校でも引き続き一人通学指導をすべきこと、その場合、完全な一人通学まででなくてもよいこと(中学時代の電車通学と違って、本件学校のバス通学は降車のタイミングが難しいこと、本件学校から最寄りのバス停までに踏切と信号機のある交差点があり、中学時代より困難度が高いので、バス停までは難しいこと。段階的に行えばいいこと。)を伝えると、これから一人通学指導に取り組むことに考えが変わりました。

・ ところが、原告は、N君には一人通学は無理である、左右が分からない、飛び出しがある、危険回避ができていない、もしどうしても指導をやれというのであれば、原告だけでなく担任以外の他の教員も分担すべきである、事故のおそれも高いから責任が自分に及ばないようにしてもらわないと指導できない、念書を書いて欲しいなどと述べ、一人通学指導に取り組もうとはしませんでした。

・ 本来、担任が一人通学指導をするもので、原告が中心となって計画を作成するのが筋ですが、原告は指導を行おうとせず、一方、母親は自主的に練習を始めるというので、やむを得ず、同学年の中村真理主幹教諭にN君の一人通学指導の計画を立案するようにもちかけると程なく、中村主幹が計画を作成しました(乙7)。

・ 原告は、一人通学指導の計画の作成に着手していたと主張しているようですが、私は原告が作成したものを見た記憶はございません。

 

6 原告とN君の母親との確執について

・ 結局、原告は一人通学指導の計画を作成することなく、中村主幹教諭の作成した計画に基づいて結果的に千葉教諭が主体となって、保護者と協力して通学指導が始まりました。そうしたある日(6/14)、N君が朝、登校時に母親より少し先を歩いているときに、交差点を曲がってきた車と衝突しそうになったが、回避できたことがありました。母親は、「回避できた」ことを肯定的に捉えて報告したところ(翌6/15)、原告が「事故に遭いそうになった」と否定的に捉えて母親と対立しました。このとき(6/15頃)、母親は校長室を訪れ、母親の一人通学練習に対する原告の対応を批判するとともに、原告の他の指導にも問題が多いとして、母親が参考図書を貸しても読んでくれない、一人通学指導は責任を取れないので原告はできない、それ以外にもN君ができない事の指導方法をいちいち教えている状態、とてもN君の自立に結びつくような接し方をしていない、自立を促す基本的な姿勢が全く違う、原告には息子(N君)の指導をして欲しくない、原告を息子から引き離して欲しいと述べました。

 さらに、原告が独自の指導観を持っているようだからどのような研究発表をしたり研修を受けたりしているのか知りたい、原告には「モンスターペアレント対策」研修を受けるよう勧めて欲しい、管理職が原告の授業を実際に見るべきだと主張しました。

・ その次の週から、母親は、朝の教室での指導を自分で行うと宣言して開始しました。そうした中、私は原告に対して、再度、一人通学指導を行うよう命じましたが、原告は、自分一人ではできない、事故があった場合に責任が自分に及ばないよう念書を書けと、ガンとして聞き入れませんでした。

 6/21に、原告から「先生方の休憩が1540分からで、一人通学指導をするのは勤務時間外であり、いわばボランティアで行っているので、そのとき万が一事故が起こったら先生方が責任を問われることになる」といわれて母親が驚いた旨の報告があり、さらに、原告が母親の質問(「40分」「ボランティア」「事故」の意味)の答えを連絡帳に記載するという事態が発生しました。翌6/22、母親は、血相を変えて、連絡帳を副校長に見せたそうです。私も、そのコピーを見ましたが、とてもひどい、親の心情を全く踏みにじるもので、母親が怒るのももっともだと思いました。原告は、母親が裁判に訴えた場合の証拠となるよう記載したというので、これ以上原告にN君の指導をさせることはできないと判断しました。原告を呼んで、連絡帳への記載等について口頭で厳重に注意しました。

・ また、母親は6/28に予定されていた校外授業(上野公園、科学博物館)で原告の引率を拒否してきましたので、その要望を入れ、副校長に付添いをさせることにしました。校外授業の付添いの要望の中で、母親は、自分ができないときにN君の送り迎えを頼んでいるヘルパーさんが、N君がやたらと手をつないで来くるようになったと伝えてきたことを報告してきました。副校長が校内で原告がN君の手をつないでいるのを目撃していることもあり、母親の心配(原告が後戻りの指導をしていること)が事実であると確信しました。

・ 翌週月曜日(6/25)、原告は休暇を取り、三楽病院を受診しました。6/28の校外学習は、副校長が出張のため、学年主任がN君の付添いをしました。

・ このころから、母親は、原告の名前を通知表(学校生活の記録)に入れないで欲しいと要望するようになりました。「訴訟に備えて」連絡帳に回答を書くなどということをする原告に対する親の心情として理解できましたので、母親の要望を入れ、通知表(学校生活の記録)の担任欄から原告の氏名をはずしました。

 

7 原告に対する授業観察

・ これまでの原告とN君の保護者とのやり取りを踏まえて、実際に原告の授業を見る必要があると判断しました。基本的に、私と副校長が下校前の学級での授業状況を教室内に入って確認しました。私も副校長も都合がつかないときは、中村主幹教諭が行いました。

 もっとも、N君や原告に限らず、生徒や授業等の様子を把握することは当然のことで、校内巡視等は管理職として通常行っていることです。

 

8 原告に対する課題指導

・ N君の母親からの報告や、原告の授業観察の状況を踏まえて、私と副校長で、夏季休業期間内に課題指導を行うこととしました。

 このことについては、副校長(当時)から述べさせていただきます。

 

9 本件について

 原告とは、私が以前勤務した城北養護学校でも一緒だったことがあります。当時は、普通の勤務状況だった記憶があります。

 今回、生徒の保護者と軋轢を起こした背景には、原告の障害児教育に対する取り組み方が影響していると考えます。定年直前にこのような結果となり残念であります。

 

 

乙第26号証

 

陳述書

 

平成28715

 

東京地方裁判所民事第25部乙2A係 御中

 

中村 良一

 

1 経歴等について

・昭和544月        東京都公立学校教員に採用

・昭和544月~昭和613月 都立城北養護学校

・昭和614月~平成83月  都立高島養護学校

・平成84月~平成203月  都立墨田特別支援学校小学部

・平成204月~平成233月 都立小岩特別支援学校 副校長

・平成234月~平成273月 都立葛飾特別支援学校 副校長

・平成273月       定年退職

 なお、現在は、外部専門員(非常勤)として、退職時の葛飾特別支援学校に勤務しております。

 

2 N君の母親について(N母の要望が妥当なものであること、モンスターペアレントではないこと)

・ 上記のように、私は、葛飾特別支援学校(以下「本校」といいます。)に赴任する前に、墨田特別支援学校の小学部に勤務し、そのときからN君やN君の母親(以下「N母」といいます。)を存じております。

・ N母は、N君が幼い頃に夫と死別し、それ以来N君及びN君の姉を女手一人で育ててきました。そのようなN母の心配事は、他の障害児をもつ保護者同様、自らが死んだ後のN君のことでした。N母は、自分がいなくなっても、障害の重いN君が一人で生きていけるようにと願い、墨田特別支援学校小学部の頃から、少しでも一人でできることを増やすため療育機関に通っていました。その甲斐あって、N君は、重い障害にもかかわらず食事や着替え、排泄など日常生活を送っていくために必要な力が養われてきました。

 そして、高等部卒業後、通所施設に通うにしても「一人通学」ができる力は、必要であるとの思いから、同小学部の頃からスクールバスを利用せずN母が送り迎えを行いながら通学練習を重ね、同中学部より学級担任と連携して「一人通学」の練習を始めました。N母は、N君の自立に向け「一人通学」以外でも、「朝の係活動」や「学習」面でも、なるべく自らの力で自主的に活動できるようになって欲しいと願っていました。そのためには、時間がかかっても、支援は最小限にとどめ、主体的に活動できる環境や指導が大切と考え、「生きる力」を育む本校の教育に期待をしていました。

 しかし、今回、そうしたN母の願いを踏みにじるような原告の対応及び姿勢にN母は、落胆しました。そこで、N母は、本校の教育、つまり学校経営計画及び校長の考えを確認するため、校長室を訪れ、そこでN母は、墨田特別支援学校での指導によりN君が大きく成長したこと、そして本校でもこれまで成長したことを大切にし、更に成長するよう事を期待している、しかし、原告の指導や対応は、これまでのN君の成長を後退させてしまうのではないかと心配し悩んでいると訴えました。このようにN母は、我が子の将来を思い、学校と協力しながら今できることを精一杯頑張っている保護者です。

 

3 N君の障がいとN母の母親の要望(保護者の要望をNの指導に反映させることが妥当であること、保護者の要望を鵜呑みにしたのではないこと)

 原告は、N君の母親が要求が過大なモンスターペアレントであるなどと主張していますが、全く誤っています。

①「綿密なコミュニケーションの要望」について

 自閉症のN君は、コミュニケーションに著しい障害を有しています。また、学校生活を送っていく上で多くの指導、支援が必要です。N母はこれまで培ってきた力を基に更なる成長を促すためには、これまでの日常生活に関する指導内容やN君の認知に関する実態について学級担任に十分理解してもらう必要がある考え、担任との綿密なコミュニケーションを要望しました。

 このことは、新入生を指導する担任にとっても望ましいことです。

 

②「砂遊び水遊びに関する要望」について

 N君は、小学部の頃から障害特性として砂や水等に過敏に反応する行動がありました。しかし、これらの行動もよく観察すると、目的意識がある時には、砂や水があっても、活動に集中することができていました。逆に、自由時間や何をするのか分からない時、目の前に砂や水、回転する物があるとそれらに反応してしまうというものでした。従って、学習や活動に関して、目的意識が促されるような指示の出し方や環境の整備が重要となります。そして、N母は、墨田特別支援学校では、これらの配慮がなされてきたので、本校でも指導や環境整備について引き続の配慮を要望しました。

 管理職は、適切な要望と判断しました。

 

③「ハンカチを噛むことに関する要望」について

 上記②とも関連しますが、N君は、コミュニケーションに障害があるため、自らの要求や気持ちを上手く周囲の人に伝えられないことがありました。そのため時には、ストレスが溜まり、自らの頭を叩く行動やハンカチ噛む等の行動として現れてしまうことがありました。この時、適切な指導が行われないと、自閉症の場合、「こだわる」障害特性があり、早期に適切な対応をしないと問題行動が固定化してしまう恐れがあるので、N母は、そのような兆候が見られたら適切に指導して欲しい要望しました。

 管理職は、当然のものと判断しました。

 

④「朝の係活動に関する要望」について

 学級内でN君が、出席簿を職員室まで取りに行くといった係を行うことは、キャリア教育の観点からみて、将来の勤労観につながる重要な指導内容です。しかし、原告は「出席簿は公簿であるのでN君には任せられない」とN母に告げました。墨田特別支援学校では、実施されていた指導であり、N君は一人でその係活動ができていたのでN母は、ショックを受けました。

 キャリア教育は、高等部において重要な指導なので、管理職は、N母の要望は適切であると判断しました。

 

⑤「一人通学についての要望」について

 特別支援教育の目的は、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることにあります。したがって、障害により困難があるとしても、各生徒の障害特性に応じた目標を設定し、一歩一歩、時間をかけてそれに向けた指導を行うことが求められます。一人通学指導においても、このことがまず前提とされなければなりません。すなわち、完全な一人通学の達成が容易でないとして、保護者の求めを拒否し指導しないという姿勢をとるとすれば、特別支援学校の教師としての資質に欠けると言わざるを得ません。

 一人での徒歩や公共交通機関を使って通学することは、様々な力をつけ経験の幅を広げる大きな学習場面となるほか、生徒が保護者から心理的に独立し目的を持って行動する大きな機会となります。さらに、一人通学ができることは卒業後の進路を考える上で選択範囲が広がることにつながります。したがって、一人通学は「自立と社会参加」を目指す上での大きな力となり、その力が本人の「生きる力」へとつながっていくのであって、その指導の意味は決して小さくありません。

 したがって、N母が、「一人通学」の指導を要望する事は、ごく当然なものです。

 

⑥「連絡帳でのやりとりに関する要望」について

 以上①~⑤の様に、ことごとく要望が受け入れられなかったので、N母は、原告が自分と異なる指導方針や考えをもって指導にあたっていると思ったのでした。そうであれば、そうした指導方針や考えを聞きたいと考え、N母は、原告の考えを知るために自らが共感した本を示しそれについての意見、感想を聞こうとしました。しかし、原告は、時間がない事を理由に本を読まずにN母に返してしまいました。本を突き返されたN母の落胆は大きかった推測されます。

 また、これら不愉快な大人同士のやり取りは、N君の思い出にしたくないとの思いから、N母は、連絡帳でのやり取りではなく別の紙に書いて欲しいと要望しましたが、これも原告から拒否されました。

 こうした原告の指導、対応がN母を感情的にさせたと思われます。管理職は、N母の心情を理解しました。

 

⑦「『一学期のまとめ』に関する要望」について

 体育館や音楽室等の特別教室へ一人で移動できる力は、今後N君が自立していくためには必要な力です。しかし、正確な日時の記録はありませんが、原告がN君と手をつないで教室移動している姿を見たことがあります。障害の重い生徒の中には、指示された事柄が理解できず大人に頼って行動することがあります。しかし、こうした事が重なると、自ら考えようとせず大人に頼ることで問題を安易に解決する方法を学習してしまいます。誤学習です。

 N君は墨田特別支援学校では、一人で特別教室に移動できていた事を考えると、大人と手をつないでの教室移動は、学習の後退を意味します。そこでN母は、せめてこれまで培ったN君の力が、原告の指導による誤学習によって後退させないために、原告からの指導を拒否するとともに「一学期のまとめ」(乙8)の担任氏名欄は、主担任である千葉教諭のみとするように要望をしました。

 管理職は、N母の心情を理解しました。

 

4 原告の指導力の不足、指導方針に誤りがあること(一人通学指導に対する認識の誤りがあることなど)

 

①「一人通学」指導は、「教育課程届」及び「学校要覧」「年間指導計画」「一人通学指導マニュアル」にも明記されている本校の重要な指導内容です。

 

②「一人通学」指導は、個々の生徒の特性を踏まえた「一人通学計画書」を作成し、付き添い通学から始めて、段階的に完全な一人通学ができるように指導するものです。

 原告は、K君の事例を挙げ「一人通学」指導の際に、必ずしも「一人通学指導計画書」が作成されるわけでないと述べていますが、K君の事例についても「一人通学指導計画書」を作成しなかったこと自体が誤りです。

 

③ 原告は、「安全意識の獲得は、コミュニケーション能力等の全般的な能力の向上がなければ実現するものではない」及び「N君は校内における指導で安全意識の獲得を目指す段階にあり、通学路で安全意識を獲得するとすれば、それには時間がかかる。」「「発語がないため、『赤で止まる』『青で渡る』等、安全性に関する注意事項について、理解しているか確認できなかった。」と述べていますが誤りです。

 人の記憶は、「意味記憶」と「エピソード記憶」に区別することができます。「意味記憶」とは、「リンゴは果物である」というような言葉での一般的な情報を保持しておく記憶です。「エピソード記憶」とは、特定の時や場所で起こったことの記憶です。自動車の運転や鉄棒の逆上り等、言葉で説明されてもがすぐにはできるようにならないが練習する内にコツがわかりできるようになる、これが「エピソード記憶」です。盲導犬なども訓練により、赤や青等の色についての言葉概念や左右の言葉の概念が理解できなくても信号で止まる事はできるし、歩道を歩くことができます。

 知的障害があり言葉でのコミュニケーションが困難な生徒であっても、練習を重ねる事により、自転車に乗れるようになったり箸が上手に使えるようになったりします。こうした「エピソード記憶」を活用した指導は、実地での指導が不可欠です。色や左右の言葉の概念理解が困難であっても「安全意識の獲得」の指導は可能です。事実、登校途中で、車の手前で止まることができたと連絡帳により報告されています。

 原告は、一人通学指導を実施しない理由として、言葉による「安全意識の獲得」を前提とし、コミュニケーション能力が十分育っていないことをあげていますが、これは原告の障害の理解及び指導力の未熟さの現れです。

 

5 管理職が原告に対して行った研修や面談は必要なものであること

・ 学校教育は、単に児童生徒と教師との関係でのみ成立するのではなく、保護者の教師・学校に対する信頼の上に初めて成り立つものです。教師は、児童生徒に対してのみ向き合うのではなく、教育公務員として保護者の意見や要望についても十分耳を傾ける必要があります。原告は、N君の母親との日常生活の指導や一人通学指導のやり取りの経過の中で、N母の要望に耳を傾ける等の担任教師としての真摯な対応を怠りました。更に、本来生徒に関する指導や身体・健康その他教育指導上の情報伝達に用いるべき連絡帳に、母親の意向に反して、一人通学に関する母親の質問に対する返事を記入し、母親の心情を踏みにじりました。こうした事実及び原告の特別支援学校教師としての指導力に対する不審が募ったことにより、原告と保護者との信頼関係が破綻したのです。

・ N母との信頼関係の破綻が何に由来するのか、原告の気付きとN保護者との信頼回復のために、原告の専門性の向上が必要と考え、原告に対する授業観察及び面談を実施しました。面談の際には、「問題解決のために」と題したプリントを提示するとともに、保護者との信頼を回復するために教材作成を指示しました。「一人通学」指導を行わなくても、他の学習指導では、専門性の高い指導ができることを示すことにより、N保護者からの理解が得られるのではないかと、管理職は考え教材作成を指示しました。しかし、原告は、面談においても、管理職の発言を記録することに終始し、自ら信頼解決に向けての考えを発言することはありませんでした。また、原告が作成した課題は、市販のワークブックをコピーした様なプリント類が多く、保護者の信頼を回復するにはほど遠いものでした。教材作成を学習3班の指導についての課題としか捉えられなかったというのは、原告の特別支援学校教師としての資質、専門性が決定的に欠如を示しているというほかありません。

・ 以上により管理職が、原告に対して行った研修や面談、授業観察は必要なものであったといえます。


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平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件 #鈴木雅久裁判官
 

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