2017年7月21日金曜日

290417中根本人調書(21枚) ベタ打ち版 N母訴訟


290417中根本人調書(21) ベタ打ち版 N母訴訟

平成27年(ワ)第36807号 損害賠償請求事件 民事第4部ろB

平成29年(ワネ)第1509号 

 

#渡辺力 裁判官 #細田良一 弁護士 #N母訴訟

#三木優子 弁護士  #綱取孝治 弁護士 #辛島真 弁護士

 

**********************

<0P>

裁判所書記官印

本 人 調 書

(この調書は,第9回口頭弁論調書と一体となるものである。)

事件の表示 平成27年(ワ)第36807

期 日 平成29417日 午後230

氏 名 ○○

年 齢 00歳

住 所 江戸川区北○○

宣誓その他の状況 裁判長(官)は,宣誓の趣旨を説明し,本人が虚偽の陳述をした場合の制裁を告げ,別紙宣誓書を読み上げさせてその誓いをさせた。

陳 述 の 要 領

別紙反訳書のとおり

 

<1P>

被告代理人細田

乙第1号証を示す

この陳述書に署名,捺印がありますが,これはあなたがしたものですね。

はい。

この陳述書の内容は,わかっておられますね。

はい。

あなたのお子さん,N君と言いますが,N君の育て方について,あなたはどのようなお考えでおられたんですか。

息子は,重度の知的障害を持っております。重度の子供でも,やはりできることというのは小さなことでもあるんです。そういうふうなのを見つけて,少しずつ大事に育てていくことを第一に考えました。その上で,彼がこの先自立していけるようにということを大事に育ててまいりました。

あなたは,原告や学校の管理職に対して,さまざまな要望をしてこられましたね。

はい。

その一つとして,N君の1人通学の要望ということをしたことありますね。

はい,あります。

一番最初に要望したのは,いつのことでしょうか。

私の記憶ですと,510日に家庭訪問がありまして,その際に原告の方と,あと同伴していらっしゃった同じクラスの千葉教諭のほうにお願いいたしました。

そのときの結論は,どういうことだったんですか。

もう少し様子を見ましょうということでした。

その後も要望を続けておられますね。

はい。

 

<2P>

具体的にはどうですか。

たしか514日に連絡帳でお願いいたしました。

その後は,どういうことになったんですか。

14日の連絡帳の返事のところにちょっと何か消極的なというか,できないようなお話が書いてあったので,もうこれは私がやりましょうということで,15日から息子を先に歩かせて,私が後ろから後追いをするような形で1人通学を始めさせていただきました。

あなたのほうが先行して始められたということですが,その後,1人通学の要望を学校ないし原告に行ったのはいつですか。

たしか66だったと思います。

どういう形で行いましたか。

連絡帳か手紙か,どっちもやったか,ちょっとそこのところは定かではございません。

そのときの原告の対応というのは,どのようなものだったでしょうか。

そのときは,学校の体制ができていない,あと何かあったときに,何か事故とか起こったときにやはり困るということで,たしかできませんみたいなお話でしたと思います。

その後,校長先生にそのことで相談に行ったことがありますね。

はい,もうその日のうちに伺いました。

校長先生は,N君の1人通学の指導については,理解していただいたんでしょうか。

理解していただきました。

甲第10号証を示す

これは,N君の1人通学の計画書というものですね。

はい。

これどのような内容のものですか。

 

<3P>

こちら,ステップ1から5に細かくスモールステップでやっていって,本人,重度な知的な障害はあるんですけども,本人にもわかりやすいように細かくかみ砕いてつくっていただいてあります。

N君の1人通学の指導については,原告は担当しなかったんでしょうか。

はい。

どのような体制で1人通学の指導が行われたんですか。

1A組というところに所属しておりましたので,そこにいるもう一人の先生,千葉先生が主にやってくださって,あとその先生が無理というか,いろいろ御都合とかおありでしょうから,そのときは学年主任の先生を初め,いろんな先生が手伝ってくださいました。

あなたがいろいろな要望をしたことで,原告が問題としていることが訴状の5ページ以下に書いてありますが,その中で,連絡帳の書式変更ということがありますね。

はい。

これは,どういうことでしょうか。

先ほどもおっしゃっていたように,高等部になりますと本人が書かなければ,本人というか,生徒が書かなければならないところがいっぱいあるんですけれども,うちの息子は文字も書けませんし,なので,あと私のほうもいろいろ私が学校に書かないと伝わらない部分とかもありますので,原告のほうから前の中学校のときの連絡表の書式を出してください,見せてくださいというお話でしたので,私のほうから中学部のときの連絡帳をお渡しして,それでつくってくださいました。

そうすると,書式の変更については,原告のほうは了解されたことですね。

はい。

ある本を読むようにと原告に本を手渡したことがありますね。

はい。

 

<4P>

それは,どうしてそうなさったんですか。

そのとおりにというわけでは全くなくて,こういうふうな指導法があるんだよということ,あるんだよと言ったら失礼ですね。あります,私はそれをやっていきたい,でも本のことですから,全部そのようにできることはないんですけども,こういうふうな考え方があるんだよということだけでもお教え,お教えとまではいかないですけども,ちょっと見ていただきたかったんで,お渡ししました。

水遊び,砂遊びについての要望ということがありますが,これは具体的にはどういうことですか。

うちの息子は,水遊びや砂遊びがとても好きなので,でもやることがあったり何かほかのほうに目を向けるとやむ,または,でもやまないときも,ほとんどとは言いませんけども,多いんですけども,一応先生のできる範囲で,原告の方のできる範囲でやっていただけたらなということでお願いはいたしました。

この点について,原告のお考えというのはどういうところにあったんですか。

たしか連絡帳で書いていただいていたと思うんですけれども,そういうふうな指導をして,全く砂いじりがなくなった生徒さんは私は今まで見たことがございませんみたいなお話がありました。

体育祭の種目についての要望ということがありますが,具体的にはN君の参加種目の何を変更をお願いしたんですか。

学校のほうから初め50メートル走でどうかというか,50メートル走に出ますよということで御提示いただいたんですけれども,連絡帳を通してだと思うんですけれども,結局原告の方を通してになると思うんですけれども,100メートルに変えていただきました。でも,結局それは体育科のほうの教員の方の裁量でやっていただきました。

そうすると,原告にお願いしたということではないんですか。

 

<5P>

ではないです。

朝の活動についての要望ということがありますが,具体的にはどういうことですか。

先ほどもちょっとお話があったと思うんですけれども,結局朝の提出物とか,あと教室に行って,その日何か出さなければいけない提出物を決まったところに出すとか,息子,やっぱり言われないと,声をかけてくださればできるかなというところがあったので,そこの声かけをお願いしたいとか,あと朝の係活動のことでも,結局出席簿を教室から,先ほどもお話もあったと思うんですけど,職員室のところまで持っていく係を担当させていただいていたんですけれども,ちょっと・・・。

出席簿を職員室に1人で持っていくという係。

はい。

係はどうなりましたか。

結局保健カードを提出するという係に変更になりました。

保健カードをどこに持っていくということですか。

保健室の前の棚のところです。

そうすると,出席簿を職員室に運ぶ係から保健カードを保健室に運ぶ係に変更になったということですね。

はい。

変更になった理由について,原告は何とおっしゃっていましたか。

公簿だからと,公簿で大事なものだから,うちの息子は・・・提出しようと思えば,いろいろ指導すればできるとは思ったんですけど,原告の方のほうでちょっと不安を感じて,確かに大事な書類ですし,なくされては困るとか,いろいろやっぱり思われていたみたいで,そのあたりで。

 

<6P>

ハンカチをかむことについての要望ということがありますが,具体的にはどういうことですか。

暇な時間とかありますと,結構ハンカチをかむ癖があるので,もう本当にそれは,原告もお忙しい中に申しわけなかったんですけれども,できる範囲でいいからハンカチをかむのをやめるというか,ほかのほうに持っていってほしいとか,あととりあえずやめさせてほしいということで,できる範囲でということでお願いはしたつもりです。

学校でのN君の座席変更についての要望ですが,これはどういうことですか。

私の認識と多分原告の方と,ちょっとお話が違っていたと思うんですけれども,私は結局息子の後ろ側に原告の方の机があって,いろいろ教材研究とかされていたと思うんです。いろいろ乗っていたので,私としては,机の上をうちの息子もわけわかりませんので,いじったり落としちゃったりする可能性があるので,やはりそれは原告の方に失礼かなと思って,できれば変えていただきたいなということでお話しさせていただきました。

通知表から原告の名前を削除してほしいと要望されたことがありますね。

はい。

これに対して,校長先生はこれを認めてくれたんでしょうか。

はい。

当時,原告のほうから何かクレームとか,そのことについて言われたことありますか。

記憶にないです。ないと思います。

あなたは,1A組の担任から原告を外してほしいという要望をしたことがありますね。

はい。

これについては,校長先生は認めてくれたんでしょうか。

 

<7P>

認めていただけませんでした。

担任から外すことはできないということになったんですが,そうすると,N君の指導というのは原告は担当するようになったんですか,その点はどうですか。

済みません。もう一度お願いします。

担任から原告を外すことができないということになりましたけど,N君の指導担当から原告は外されたんでしょうか。

はい,そうです。外れました。外していただきました。

それは,いつごろのことですか。

たしか6月の下旬ごろだと思います。

あなたのほうから,授業観察や研修をやってほしいという要望を管理職にしたことがありますね。

そうです。管理職の先生のほうに。

それは,どういう理由からそうされたんですか。

私は,教育に関しては素人ですので,一保護者ですので,やはりプロとしての管理職の方の原告の方の指導の方法とか,その考え方をちょっと見ていただきたくてお願いいたしました。

原告代理人幸嶋

あなたは,原告の授業をたびたび見学していましたね。

はい。

いつごろから見学を始めたのですか。

覚えがないです。

6月ごろにも見学をしていましたか。

記憶にないです。

夏休み前の7月ごろにも見学を行っていませんでしたか。

記憶にないです。

 

<8P>

622日ころ以降は,原告はN君の指導を離れているんですけれども,原告がN君の指導を離れた後も見学を行っていましたか。

何度かありました。授業参観のときだと思います。

あなたは,どのような理由で原告の指導を見学に行っていたのですか。

原告の方の我が子に対する指導は見させていただいていたんですけれども,ほかの生徒さんに対する指導を見て,やはりベテランの先生でもいらっしゃいましたし,何か得るものがあるんじゃないか,私がもしかして原告の方を間違えて認識しているのではないかと不安になりまして,ほかの生徒さんを指導するところも参考のために見させていただきました。

ほかに何か理由はありますか。

それだけです。

何か参考になることはありましたか。

特にはなかったです。

あなたは,原告の授業を見学して気がついたことを校長室の学校長らに伝えていましたか。

はい。気がついたことというよりも,事実を見たままをお話しさせていただきました。

どのようなことを報告に行っていたのですか。

何を言ったかは,詳しくは覚えておりません。

校長に報告を行っていた理由は何ですか。

学校での管理職の校長先生でいらっしゃいますから,やはりその方がその指導が適切かどうかは判断することでありますので,私は事実だけ言わせていただいて,もしかすると私のほうに誤解されていますよという意見もいただけるかと思って,言わせていただきました。

甲第11号証を示す

 

<9P>

これは,中村副校長が作成したプリントです。ここの①から⑥のところには,あなたが原告の指導力に課題があるとする根拠として挙げられた文が載っています。今から一つずつお伺いしていきます。まず,①のところに「中学部で行っていた一人通学の練習を高等部で行うことができない根拠が納得できる説明がない。」というふうにあるんですけれども,あなたは学校長らにこのような話をしたことがありますか。

はい。

次に,②のところで「生徒が○○先生と呼ばずに○○さんと呼ぶ。」とあるのですけれども,この点はいかがですか。

お話しさせていただいたことあります。

次に,③の「「朝の学習」のメインティーチャーをしない。」というのがあるんですけれども,これについてはいかがですか。

お話しさせていただいたことあります。

具体的にはどのような内容ですか。

朝の学習のときは,クラスごとで授業というか,朝の会のようなもの,1日の流れとか,そういうものをお話しする時間があるんですけれども,そのときにいつも千葉先生のほうがメインティーチャーをやられるだけで,原告の方がなかなかメインティーチャーをやられているところを見たことがなかったので,何かちょっと不自然だなと思いまして,ちょっと不思議に思ったので,お話しさせていただいたことはあります。

次の④なんですけれども,「卒業後のことをふまえてできるだけ一人で日常のことをできるようにしたいが,着替えや役割(出席簿の提出)などを生徒に付きことばかけが多い。」とあるんですが,これについては。

ちょっとよく覚えていないです。

何か言葉の関係について,校長らに言ったことがありますか。

 

<10P>

ごめんなさい。今のところちょっと記憶にないです。済みません。

次に,⑤番目のところで,「指導に関して本を提示し指摘の箇所を示して示唆をしても読まずに返し,説明も示さない。」とあるんですが,これも先ほどおっしゃられたとおり,このようなことがあったということ。

そうです。

この指摘の箇所を示してというのもあったということですか。

はい。

次に,⑥番なんですが,「重度の生徒に指示を出すとき,自信をもってはっきりと指示ができない。」というのがあるんですけれども,このような内容・・・。

これは,言った覚えが何か記憶にないです。

今の6つの話は,全て校長室へあなたが直接行って校長に伝えたものですか。一部については,御記憶がないものがあるんですけれども。

直接校長室で言ったかどうかはわからないですけれども,折に触れ,いろいろちょっとお話しさせてはいただいた記憶にあります。

これらの点は,まとめて一部の機会に校長らに伝えたという記憶ですか,それとも何回かに分けて伝えたという記憶ですか。

その都度だったと思います。

これら以外にも,あなたは原告の指導力に関して,学校長らと話をしたことがありますか。

済みません。ごめんなさい。

裁 判 官

記憶にないということですか。

記憶にないです。済みません。

原告代理人幸嶋

学校長らに原告と考え方が違うという話をした御記憶はありますか。

 

<11P>

違うというせりふは出てしまったんですけれども,結局よく落ちついて考えると,考え方がわからなかったというのが正直なところです。

それは,具体的には考え方がわからないというのは。

どのように指導していただけるのか,私には何か全くわかりませんでした。

あなたの期待していた指導と異なっていたということですか。

異なったというか,どのように指導してくださるかがわかりませんでした。

あなたは,学校長らに対して,原告の指導力がないという話をしたことはありますか。

指導力がないというか,指導力がないんじゃないかなぐらいなお話です。私は,そのあたりは判断できないので。

指導力に関しては,学校長らと何回ぐらい話をした記憶がありますか。

回数はわかりません。

あなたは,学校長らに担任の配置がどのように決まったのかを尋ねたことがありますね。

あります。

そのとき学校長らからどのような説明があったか,記憶がありますか。

遠い記憶にあります。いろいろやはり問題を抱えている生徒さんも多くいるということで,いろいろ配置していった上でこうなりましたということで,細かいところは,ニュアンスはちょっとお伝えできないんですけども,そういうふうなお話はいただいたのは記憶にあります。

あなたが担任の配置について学校長らに質問した際に,□□先生が担任ということに納得がいかない,結論としては□□という人を全学年の担任から外す,教育もしない,仕事もいない人が給料をもらっていることは納得がいかないという話を学校長らにしませんでしたか。

 

<12P>

そこの部分なんですけれども,お給料とかそこいら辺のお話ししたのは,話が前後してしまうのかもしれないんですけれども,息子が進路担当の先生といろいろお話ししたり見学に行くことがあって,進路担任の先生がすごく熱心に語って,あと進路のことについてもいろいろ考えてくださっていたんです。それを踏まえた上で,メインティーチャーの話に戻ってくるんですけれども,私のほうから,教室の中で原告の方がメインティーチャーをやられないんですかというお話をしたところ,初めて原告の方がメインティーチャーをやられたとき,偶然私,教室にいてしまったんですけれども,そのときにお話を聞いたところ,そのときに生徒の中から,原告の方は初めてメインティーチャーというか,前に先生立つんだって驚いた声が上がったんです。そのときに原告の方から,僕は見習いだったからという一言があったんです。その見習いという言葉に私も過激に反応してしまいまして,そこで給料のお話とか出てきてしまって,ボーナスもいっぱいもらっていらっしゃる,給料もいっぱいもらっていらっしゃる,その方が見習いだって生徒,特に職業前の生徒を指導しているわけですから,そういうふうなことで言葉を濁すということを生徒の前でやっていいのかなと私は正直思ったので,そのあたりも含めて,多少感情的ではあったと思いますけれども,給料もとか,そういうふうな話が出てきてしまいました。

ちょっと分けて聞きますけれども,まず1つ目の□□先生が担任ということに納得がいかないという話はされた御記憶がありますね。

はい。

あと,□□先生という人を全学年の担任から外してほしいという・・・。

全学年の担任から外してほしいは言った記憶がないですけど,どこかに書いてあるんですね。

 

<13P>

はい。あと,教育もしない,仕事もしない人が給料をもらっていることが納得がいかないという話も御記憶ありますね。

それは,先ほどのことを踏まえてお話しさせていただきました。でも,感情的でした。

あと,先ほどの見習いだったからという発言が原告本人からあったとのことなんですけれども,それは冗談のような雰囲気の中で発言した内容だったんですか。

雰囲気は覚えていませんが,特に知的障害のあるお子さんですと,教室の中にいた生徒さんは多分知的がある程度あるお子さんもいたんですけれども,中にはそれをそのままうのみに受け取る生徒さんもいたと思われるんです。私は,プロでないですから,わからないですけど。その生徒にそういうふうなことを言っていいのかなということです。

あなたは,第三者機関である東京都教育委員会や,学校問題解決サポートセンターに相談することを考えていると学校長らに伝えましたか。

考えているというか,余りそれほど積極的には考えていませんでした。ただ,こういうふうなところありますよねということで,余りあれでしたら相談に行こうかなぐらいの感じでお話しさせていただきました。

相談に行って,どのような解決を図ろうと思っていたんですか。

一応,私は素人ですから,わからないんですけども,原告の方の様子を見ていただきたくて,連絡してもいいのかなぐらいで,でもそこまで私,大ごとにするつもりはありませんでした。時間も我が子に時間を費やしたかったので。

校長らは,そのような外部の機関に相談するという話が出たときに,どのように答えましたか。

ちょっと答えについては,よく覚えていないんですけれども,余りそういうふうなところはと,やはり消極的だったお返事があったような

 

<14P>

気がします。

あなたは,1学期の間に何回ぐらい校長室に行かれましたか。

覚えていないです。何回でしょう。

結構覚えていないぐらいたくさんあったということですか。

そんなたくさんというほどには私は,たくさんがどれぐらいかというのはよくわからないので。

校長室へ直接行くほかに,学校長らと電話で話すこともありましたか。

はい。

電話で話したのは,大体何回ぐらいか覚えていらっしゃいますか。

わからないです。申しわけありません。

手紙についてはいかがですか。

何回もありましたが,それもわかりません。

手紙に関してなんですけれども,学校長宛てに出した手紙というのは何回ぐらいありますか。

学校長宛てですか。

原告や千葉教諭宛てではなくて,学校長ら宛てに出した手紙というのは何通ぐらいありますか。

申しわけありません。覚えておりません。

少なくとも二,三通はあったということですか。

二,三通ではないと,もうちょっとあったと思います。

あなたは,葛岡学校長に,N君は中学部時代に1人通学をしていたと伝えましたね。

はい。

N君の中学部時代のことについてお伺いします。中学1年時の担当教師は何という方でしたか。

言いますけれども,どういう関係があるんでしょう。

 

<15P>

ちょっと1人通学事情のことについてお伺いしたいと思いまして。

遠藤先生と堀切先生です。

中学1年時は,1人通学指導が行われていましたか。中学校時代です。

わかっています。わかっているんですけど,1年のときやっていたかどうか,済みません。ちょっと詳しくは,いつからというのを思い出せません。

では,中学2年時の1人通学は,行われていたかどうかの御記憶は。

済みません。勉強不足です。いつから始まったかが記憶にないです。

では,中学2年時の教師は何という方でしたか。

遠藤先生と,あともう一人,女性の先生がいらしたんですけれども,その方は一日だけいらしてずっと病欠でしたので,実質遠藤先生と・・・たしか病欠だったと思うんです。

あと,中学3年時の担当教師は何という方でしたか。

遠藤先生と,あともう一人先生がいらしたんですけど・・・済みません。遠藤先生は必ず3年間ずっと一緒に上がっていただいたんですけれども,23年時のもう一人のサブの先生の名前が出てきません。

甲第20号証を示す

これは,中学2年時の1人通学指導計画書ですね。

はい。

指導段階の欄ですが,510日から514日のところで,「学校から八広駅まで一人で帰ることができる。」という指導目標が書いてあるんですが,実際にこの期間にこの内容で指導が行われていましたか。

指導はしていたと思いますけれども,果たしてできていたかどうかは微妙です。

あと,指導者の支援の欄に「時々隠れてついて行く。」というところがあるんですけれども,実際にこれを行っていたのはどなたかわかりますか。

 

<16P>

誰でしょう。わからないです。申しわけないです。

指導の段階1は,これ4日間という短期間なんですけれども,実際このような目標が達成されましたか。

4日間では達成されませんでした。

あと,指導の段階2の欄の728日から826日で,「学校から青砥駅まで一人で帰ることができる。」という指導目標になっていますが,実際にこの期間にこの内容で指導がされていましたか。

この期間だったかわかりませんが,こういうふうな指導はしていただきましたが,期間はちょっとわからないです。

この指導期間中に段階2が達成されたかどうかもちょっとわからないということですか。

826日とか言われてしまうと,そうですとは言えないです。

では,N君は,学校と青砥駅の間の登下校を1人で行っていたということはありますか。

はい,あります。

指導の段階3のところで,学校から小岩駅まで1人で通学することを目標としていますけれども,指導期間の欄が空欄になっていますね。この段階3は,実施されましたか。

ここはやっていないです。

N君が小岩駅まで1人で通学することは,最終的にできなかったということですか。

実力的にはあったんですけど,やっていません。

では,中学部時代にN君が学校と自宅の間を1人で通学するということは,なかったということですか。

そうです。青砥駅まででした。

あなたは,葛岡学校長に中学部時代に1人通学ができていたと伝えておられ

 

<17P>

ますけれども,それはどうしてそのようなお話をされたんですか。実際は,1人通学はされていなかった・・・。

1人通学の解釈の仕方が違うということです。1人通学は,私にとっては学校から家までが1人通学とは思っていなくて,本人のできる範囲の1人通学を1人通学と呼んでいたんです。ですから,そこの点では誤解が生じていたんです。ですから,彼は,帰りで言うと学校から青砥駅まで1人通学をしましたということで,家までの1人通学ではありません。

高校での1人通学というものは,どのような理解でしたか。今と同じような理解ですか。学校から家までの通学を指導してもらうという理解でしたか。

それについては,最終的にできればいいなとは思いましたが,やはり彼にも能力に限界がありますので,でもできる範囲で,やっぱり1人で歩かせたいということがありました。それで,結局途中までだったんですけれども,学校から途中まで1人で帰ってくるということを1人通学と私の中で解釈しておりました。

葛岡学校長は,あなたの要望を受けて,いつから1人通学指導を始めると答えていましたか。

ごめんなさい。覚えていないです。

あなたは1人通学指導の内容について,どのような指導をしてほしいのか,具体的に原告以外の教員と話をすることがありましたか。

もしかすると,同じ教室の担当であった千葉先生とはお話ししたかもしれません。ちょっとそこ,確実じゃありません。

甲第10号証を示す

これは,高校時の1人通学指導計画書ですね。

はい。

これは,中村真理教諭がこの計画書を作成されたとのことなんですが,ここ

 

<18P>

に記載した内容は,あなたの要望を反映した内容になっていますか。

はい。

実際に高校で1人通学指導が開始された月は何月かというのは,今は覚えていらっしゃらないですね。

ちょっと済みません。ごめんなさい。

1年時の3学期末は,登下校の1人通学指導はどの程度までしていますか。

1年時の3学期の末は,どの程度までできていましたか。

3学期の末は・・・。

まず,登校時です。

・・・・・。

覚えていらっしゃらないのであれば,下校時は・・・。

下校時は,千葉教諭が主にですけれども,ついてきてくださって,安全なところまで見て,私と千葉先生と目が合うところまで来てくださって,そこでさようならということで。

2年時の3学期末は,どの程度まで進んでいたか覚えていますか。

2年時は,担任がかわりまして,もう本当にいろいろありましたから,私も学校のやり方にお任せしていました。そうしたところ,2年時の教員の方は2人で交代で来てくださっていたんですけれども,その方たちは私のいるところまで息子を連れて。

そのときに指導されていた教員は,誰と誰ですか。2年時のときに1人通学されていたのは。

スギタ教諭とヨシモト教諭です。

3年時の3学期末は,どの程度まで1人通学指導が行われていましたか。

3年の3学期末は,3年の担任のほうは,私とお話しさせていただいたところ,どこまでちゃんとやっていただいたかは,私は定かではないんですけれども,学校からもうとにかく安全なところまで本人の1

 

<19P>

人の足で帰ってくるようにということで指導していただいたはずです。

最終的にどの程度まで1人でできるようになったとのことですか。

学校から安全に私が思っている,ちょっと具体的になっちゃうんですけれども,りそな銀行というところがありまして,そこのところまで1人で帰ってきていたはずです。

それは,誰か教員がりそな銀行のところまで後追いのような形でついてきたということですか。

私は,後追いしていただいていたとは思っていないんですけど,もしかするとしていただいていたのか,私はとにかくりそな銀行のところでしか待っておりませんでしたので,わからないです。

3年時のときに指導されていた担任はどなたでしたか。

スギタ先生と,あともう一人の方が,ごめんなさい,本当に名前が出てこないんです。顔はわかっているんですけども。もう一人の方です。

あと,N君は,特別支援学校卒業後の進路はどこに行きましたか。

4月の時点で作業所に伺いました。

短期間で退所されたようですが,退所されたのはいつごろですか。

1か月後です。

それは,どうして退所されたんですか。

それにつきましては,学校のほうにも相談なしなんですけれども,私のほうで息子の指導と,あとやり方について,1か月たってやっぱりやってみると,これでは息子には合わないということで,私のほうからやめさせていただきました。

退所後は,どのようにされましたか。

退所後は,しばらく自宅です。

現在の状況や体調等はいかがですか。

体調はいいです。

 

<20P>

今は,どこか作業所等に。

関係ないです。

関係ないところに。

はい。

以 上

 290417中根本人調書(21枚) ベタ打ち版 N母訴訟

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分かったこと

240606中根母の手紙の背景

中根母は、朝、1Aの教室に来る。

=>千葉教諭に一人通学を話し左右の安全確認の話をされる、堀切美和 教諭に電話をするように話す。

=>校長室に行き、葛岡裕学校長に話す。「親御さんはそういうけれど、事故を起こした相手はそうはいかない」と諭される

=>葛岡裕 学校長は、上告人を呼出し、中根母の3年計画を話す。「それは、難しい」と発言。

=>240606中根母の手紙。宛名不明。千葉教諭又は葛岡裕 学校長。
 
▼中学部の2・3年の担任は2名いたこと。
 
▼ 三木優子 弁護士のヌルイ質問。
準備書面で聞ける内容だ。話しただけで、立証不要の本人尋問で質問している。
背任行為の証拠だ。
 
 

 

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